一年の折り返し、なんとなく心も体も重く感じていませんか
六月も半ばを過ぎ、梅雨の湿った空気が続くこの時季。「最近どうも調子が出ない」「上半期はいろいろあって、気づけば疲れがたまっている」――そんなふうに、はっきりした理由もないのに心身が重く感じられる方は、決して少なくありません。
当方のもとにも、この時期になると「なんとなく運気が滞っている気がする」「ここまでの半年をいったん区切って、心機一転したい」というお声が多く寄せられます。
実は、昔の人々もまた、ちょうど今の時季に同じような感覚を抱いていました。そして、その「半年分のたまったもの」を流し清めて、後半を新たな気持ちで迎えるための知恵を、年中行事として大切に受け継いできたのです。それが、六月末に各地の神社で行われる「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」です。
この記事では、夏越の大祓とは何か、その由来や作法をやさしくひもときながら、神道の「祓い」と当方がお仕えする聖天様の信仰に通じる「祈り」の考え方まで、行者の視点を交えてお伝えしてまいります。読み終えるころには、一年の折り返しをすっきりと迎えるための、心の整え方が見えてくるはずです。
夏越の大祓とは――半年分の穢れを祓い、後半の無事を祈る神事
一年に二度ある「大祓」の、夏の節目
夏越の大祓とは、毎年六月の末(多くは六月三十日)に行われる、半年分の罪や穢れを祓い清める神事です。
日本では古来、日々の暮らしのなかで、知らず知らずのうちに「罪」や「穢れ(けがれ)」が積もっていくと考えられてきました。ここでいう罪や穢れとは、悪いことをした、という道徳的な意味あいだけではありません。生きているうちに自然とたまっていく心身の曇りやよどみ、いわば「気枯れ(けがれ)」のようなものとして捉えると、わかりやすいかもしれません。
その曇りを年に二度、節目ごとにきれいに祓い落とすのが「大祓」です。六月末に行うものを「夏越の大祓」、十二月末に行うものを「年越の大祓(としこしのおおはらえ)」と呼びます。
「お礼」と「お願い」、両方の意味がある
夏越の大祓は、ちょうど一年の折り返し地点にあたります。ですから、ここまでの半年を無事に過ごせたことへの感謝と、これから始まる後半も健やかに過ごせますようにという祈り、その両方の意味が込められた、とても大切な節目なのです。
「これまでありがとうございました。そして、どうかこれからも」――そう心の中で手を合わせる。この区切りの感覚こそが、夏越の大祓の本質といえるでしょう。
茅の輪くぐりの由来と、正しいくぐり方
夏越の大祓といえば、神社の境内に立てられた大きな草の輪をくぐる「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」を思い浮かべる方も多いでしょう。茅の輪とは、茅(ちがや)というイネ科の草を編んでつくった輪のことです。
茅の輪くぐりの由来――蘇民将来の物語
茅の輪くぐりの由来には諸説ありますが、もっとも有名なのが「蘇民将来(そみんしょうらい)」の説話です。
その昔、一人の旅人が、ある兄弟に一夜の宿を乞いました。裕福な弟は冷たく断りましたが、貧しい兄の蘇民将来は、わずかな蓄えのなかから心を尽くして旅人をもてなしました。実はこの旅人は武塔神(むとうしん、素戔嗚尊=スサノオノミコトと同一視される神様)であり、もてなしへの礼として、蘇民将来に「茅の輪を腰につければ疫病を免れる」と教えを授けたといいます。教えに従った蘇民将来とその子孫は、流行り病からのがれ、末永く栄えたと伝えられています。
この物語に由来して、茅の輪をくぐることで災厄や疫病を祓う、という風習が広まっていきました。当方がここで一つ申し添えたいのは、この物語が教えてくれるのは「もてなしの心」「礼を尽くす心」の尊さだということです。神仏に対して誠を尽くす者が守られる――この一点は、のちほどお話しする聖天信仰の心構えにも、深く通じてまいります。
茅の輪くぐりの作法
茅の輪は、基本的にどなたでも自由にくぐることができます。多くの神社では輪のそばにくぐり方の説明が掲げられていますので、その案内に従うのがいちばんですが、ここでは一般的な作法をご紹介します。
一般的には、左まわり → 右まわり → 左まわりと、八の字を描くように三回くぐります。
- まず茅の輪の正面に立って一礼し、「水無月の 夏越の祓する人は 千歳(ちとせ)の命 のぶというなり」と唱えながら、左まわりにくぐって正面に戻ります。
- 二度目も一礼し、同じく唱えながら右まわりにくぐって正面に戻ります。
- 三度目も一礼し、同様に唱えながら左まわりにくぐって正面に戻ります。
- 最後にもう一度くぐり、そのまま神前へ進んでお参りします。
唱え詞の意味は、「水無月(六月)の夏越の祓をする人は、千年の長きにわたって命が延びるという」というもの。半年の節目に祓いを行えば、無病息災で長く健やかに過ごせる、という願いが込められています。なお、参拝を終えたら、清められた状態を保つため、帰り際に再び茅の輪をくぐる必要はないとされています。
人形(ひとがた)に穢れを託す
茅の輪くぐりとあわせて、多くの神社では「**形代(かたしろ)」**あるいは「**人形(ひとがた)」**を用いた祓いも行われます。
これは、人の形に切った白い紙に自分の名前や年齢を記し、それで体をなで、息を吹きかけることで、半年のあいだにたまった罪や穢れを自分の身代わりとして人形に移す、という作法です。穢れを引き受けた人形は、神社で川や海に流されたり、お焚き上げされたりして、清められます。自分の分身に重荷を託し、それを手放す――とても理にかなった、心の整理の知恵といえるでしょう。
行者の視点で読み解く――神道の「祓い」と密教の「祈り」
ここからは、当方がお仕えする聖天様の信仰や、仏教・密教の知識を交えて、もう少し深くお話しさせてください。
「祓う」と「祈る」は、どこが違うのか
神道の「祓い」と、仏教・密教の「祈り」。一見すると別々のもののように思えますが、その根っこには共通する願いが流れています。
神道の祓いは、たまった穢れを「取り除き、もとの清らかさに戻す」という方向のはたらきです。いわば、曇った鏡を磨いて、本来の澄んだ姿を取り戻すようなものといえるでしょう。
一方、密教の祈り(祈祷)は、仏様や天尊のお力にすがり、清められた心に「新たな善きものを呼び込み、願いを成就へと導く」という方向のはたらきが強いものです。
つまり、まず祓いで身心を清め、清まった器に祈りで福を満たす――この二つは、対立するものではなく、むしろ車の両輪のように補い合うものなのです。古来、日本人が神道の行事と仏教の信仰を自然に両立させてきたのも、決して矛盾ではなく、この補い合いを暮らしの知恵として体得していたからにほかなりません。
聖天様の信仰に通じる「身を清め、礼を尽くす」心
当方がお仕えする聖天様(大聖歓喜天)は、現世のあらゆる願いを叶えてくださる、たいへんお力の強い天尊として、古くから篤く信仰されてきました。商売繁盛、金運、良縁や縁切り、夫婦和合、厄除け、健康、合格、子宝――願い事の種類を問わず、私たちの切なる願いに応えてくださる尊い存在です。
その聖天様への信仰において、何よりも大切とされるのが、「身を清め、礼を尽くしてお祀りする」という心構えです。これは、聖天様が怖い神様だから、ということでは決してありません。むしろ逆で、丁寧に礼を尽くしてお仕えするほどに、深く厚く守ってくださる――だからこそ、こちらも誠を尽くす、という信頼に基づく関係なのです。
先ほどの蘇民将来の物語で、心を尽くしてもてなした人が守られたように、神仏との関係の土台には、いつでも「誠」と「礼」があります。夏越の大祓で身を清めるという行いは、まさにこの「清らかな心で神仏に向き合う」という、信仰の基本中の基本を体現したものなのです。
今日からできる、半年の区切りの整え方
神社まで足を運んで茅の輪をくぐるのが理想ではありますが、事情があってなかなか行けない方もいらっしゃるでしょう。そこで、ご自宅で今日から実践できる、心と暮らしの整え方をいくつかお伝えします。
まず、身のまわりを清めること。半年分のほこりを払うつもりで、玄関や水まわりを丁寧に掃除してみてください。場を清めることは、そのまま心を清めることにつながります。とりわけ玄関は、福が出入りする大切な場所とされています。
次に、この半年をふり返り、心の中で区切りをつけること。良かったこと、つらかったこと、その一つひとつに「ありがとう」と心の中でつぶやいてみる。手放したい思いがあれば、紙に書き出してそっと処分するのも、形代の知恵を暮らしに取り入れた、よい方法です。
そして、京都を中心に親しまれてきた、夏越の祓の行事食「**水無月(みなづき)」**をいただくのもおすすめです。氷を模した三角形の生地に、邪気を払うとされる小豆をのせた和菓子で、これを食べると無病息災で夏を越せると伝えられています。季節の味を通じて節目を感じる――そんな穏やかなひとときも、立派な「祓い」のひとつです。
最後に、ささやかでも構いませんので、手を合わせて祈る時間を持ってみてください。神棚やお仏壇がなくても、静かに目を閉じ、「ここまで無事に過ごせたことへの感謝」と「後半の無事への願い」を心に念じるだけで十分です。
祈りは、一人で抱えた重さを軽くしてくれる
夏越の大祓が長く受け継がれてきたのは、人が「自分の力だけではどうにもならないもの」を、目に見えない大きな力に託し、手放してきた歴史があるからです。半年分のよどみを一人で抱え込むのではなく、節目ごとに祓い、祈りに委ねて、また新たに歩み出す。その繰り返しのなかで、人は心の健やかさを保ってきました。
当方が日々お仕えする御祈祷もまた、同じ願いの延長線上にあります。当方の御祈祷は、聖天様への深い敬意のもと、日数をかけて心を込めて厳修する秘伝の御祈祷です。一般には、聖天様に縁の深い祈祷法もいくつか知られていますが、当方はそれとは別の秘法をもって、お一人おひとりの願いに向き合わせていただいております。
祈りは、何かを必ず叶える魔法ではありません。けれども、古来人々が信じてきたように、迷いのなかにある心の確かな支えとなり、前を向く力をそっと後押ししてくれるもの――当方はそう信じております。
まとめ――半年の節目に、心を清らかに
夏越の大祓は、一年の折り返しにあたって、半年分の罪や穢れを祓い清め、後半の無事を祈る大切な神事です。茅の輪をくぐり、人形に穢れを託し、水無月をいただく。その一つひとつに、清らかな心で神仏に向き合うという、信仰の根本が息づいています。そしてその心は、聖天様への信仰で何より大切にされる「身を清め、礼を尽くす」姿勢に、深く通じるものでもあります。
この季節、もし「なんとなく重い」「ここまでの半年を区切って、心新たに後半を迎えたい」とお感じでしたら、ぜひご自宅でできる小さな祓いから始めてみてください。
そして、どう向き合えばよいか迷うとき、漠然とした不安や願いを一人で抱え込んでしまいそうなときは、どうかお気軽に当方の無料相談へお声をお寄せください。お話をじっくりうかがったうえで、必要であれば御祈祷や占い鑑定という形で、お力になれることもございます。まずは気軽に、胸のうちをお聞かせいただくところから。半年の節目が、あなたにとって晴れやかな再出発となりますよう、心よりお祈り申し上げております。


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