「今年はあなたは八方塞がりだから気をつけて」――そんな言葉を耳にして、なんとなく胸の奥が重くなったまま、このページにたどり着かれたのではないでしょうか。何か悪いことが起きるのではないか、新しいことを始めてはいけないのか、引っ越しや転職は控えたほうがよいのか。具体的に何が起きるとも分からないまま、ただ「塞がり」という言葉の響きだけが心に引っかかり、一年をどう過ごせばよいか戸惑っていらっしゃる方は少なくありません。
当方のもとにも、「八方塞がりと言われてから、何をするにも一歩踏み出せなくなってしまった」というご相談が、毎年この時期に静かに寄せられます。まず申し上げたいのは、その不安は決しておおげさなものではなく、先行きの分からなさに心が身構えるのはごく自然なことだということです。この記事では、八方塞がりとは本来どういうものなのか、厄年とは何が違うのか、そしてこの一年をどんな心持ちで過ごせばよいのかを、行者の視点を交えながらやさしくお伝えしてまいります。読み終えるころには、その肩の力が少しでも軽くなっていればと願っております。
八方塞がりとは何か――その本当の意味
八方塞がりとは、古代中国から伝わった「九星気学(きゅうせいきがく)」という考え方に由来するものです。九星気学では、生まれた年によって人それぞれに「本命星(ほんめいせい)」と呼ばれる星が定まるとされます。一白水星、二黒土星、三碧木星……といった九つの星のいずれかが、その人の生まれながらの星にあたります。
この九つの星は、毎年その位置を少しずつ移ろわせていくと考えられています。八つの方角と中央を巡り、九年でひとめぐりする。その巡りのなかで、自分の本命星がちょうど方位盤の「中央」に位置する年が、八方塞がりにあたります。
中央に座すということは、東・西・南・北、そして北東・北西・南東・南西という八つの方角すべてが、ほかの星によって囲まれている状態です。どちらを向いても先が塞がれているように見える――そこから「八方塞がり」という名がついたとされています。文字どおり、どの方角へ事を起こしてもなかなか思うように進みにくい年回り、と古来言い伝えられてきました。
ここで大切なのは、八方塞がりは「災いが降ってくる年」というより、「動きにくい年」だと理解することです。出口が塞がれているというのは、裏を返せば、外へ向かって慌てて動くより、いま自分のいる場所をじっくり見つめ直すのに向いた時期だということでもあります。九年に一度めぐってくる、足元を整えるための時間。そう捉えるだけで、ずいぶん心持ちは変わってくるものです。

八方塞がりと厄年は何が違うのか
「八方塞がりと厄年は同じものですか」というご質問もよくいただきます。混同されがちですが、この二つはまったく別の系統から生まれた考え方です。
厄年は、陰陽道(おんみょうどう)を起源とすると伝えられる古くからの風習で、男女によって該当する年齢が異なります。数え年で、男性は二十五歳・四十二歳・六十一歳、女性は十九歳・三十三歳・三十七歳・六十一歳などが本厄とされ、その前後に前厄・後厄が置かれるのが一般的です。年齢を基準とした考え方だとお考えいただくとよいでしょう。
いっぽう八方塞がりは、いま述べたとおり九星気学に基づくもので、自分の本命星が方位盤の中央に巡ってきた年を指します。本命星は生まれた年で決まるため、八方塞がりは男女の区別なく共通で、おおむね九年周期でめぐってきます。
つまり、起源も、数え方も、対象となる人も異なる別々の考え方なのです。年によっては、厄年と八方塞がりがたまたま重なることもありますし、片方だけに該当することもあります。どちらも「気をつけるとよいとされる年回り」という点では似ていますが、別物として理解しておくと、いたずらに不安を募らせずにすみます。
なお、自分が今年八方塞がりにあたるかどうかは、九星の早見表で本命星を確認すれば調べられます。ただし、九星気学では旧暦を基準とするため、一月一日から節分(二月三日ごろ)までに生まれた方は前年の生まれとして数える、という点だけご注意ください。諸説ありますので、気になる方は信頼できる神社仏閣の早見表で確かめられるとよいでしょう。
過度に恐れなくてよい――「塞がり」を正しく受け止める
八方塞がりという言葉だけが独り歩きして、「何か恐ろしいことが起きる年」とおびえてしまう方がいらっしゃいます。けれども、ここはどうか落ち着いて受け止めていただきたいところです。
九星気学も、厄年の風習も、もともとは人々が自然や運命のリズムと折り合いをつけ、無理をしすぎないために積み重ねられてきた、いわば生活の知恵です。「動きにくい時期があるならば、その時期は慎重にいこう」という、先人のやさしいまなざしが込められたものだと当方は捉えています。決して、人を脅し、おびえさせるために生まれたものではありません。
実際、八方塞がりの年に何か悪いことが起きたとしても、それが本当に星の巡りのせいなのか、たまたまなのかは、誰にも証明できません。むしろ、「今年は塞がりだから」と過剰に身構えるあまり、些細な出来事まで悪い兆しに見えてしまい、かえって心を曇らせてしまう――そちらのほうが、よほど惜しいことではないでしょうか。
仏教には「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」という言葉があります。物事のありようは、それを見る心のあり方によって大きく変わる、という教えです。同じ一年でも、おびえながら過ごすのか、整える時期と捉えて穏やかに過ごすのかで、見える景色はまったく違ってきます。八方塞がりは、心の構え方を試される一年とも言えるのです。
八方塞がりの年の過ごし方――心得と小さな行動
では、八方塞がりの年を実際にどう過ごせばよいのか。難しく考える必要はありません。今日から心がけられる、いくつかの穏やかな指針をお伝えします。
大きな決断は、急がず慎重に
新しい事業、転職、引っ越し、大きな買い物など、人生の流れを変えるような決断は、この一年は少しゆっくり構えるのがよいとされています。これは「やってはいけない」という禁止ではなく、「いつもより一歩立ち止まって考える」という心構えです。塞がりの年は周りが見えにくい時期。焦って動くより、よく見極めてからのほうが、結果として良い形に落ち着くことが多いものです。どうしても動かねばならない事情があるなら、それはそれで構いません。大切なのは、勢いまかせにしないことです。
足元を見つめ、力を蓄える
八方塞がりは、外へ広げる年ではなく、内を整える年だと言われます。これまで手が回らなかった学びを深める、健康を整える、人間関係を丁寧に見直す、家のなかを清める――そうした「土を耕す」ような営みが、この年にはよく似合います。今ここで蓄えた力は、塞がりが明けたあとの飛躍の支えとなります。
心と暮らしを清らかに保つ
不安なときほど、身の回りを整えることが心を落ち着けてくれます。住まいを掃き清め、感謝の気持ちで一日を始める。当たり前のようでいて、こうした小さな積み重ねが、ざわつく心を静かに支えてくれます。神仏に手を合わせる習慣のある方は、その時間を少し丁寧にされるのもよいでしょう。

祈りという、心の支え
八方を塞がれたように感じる年こそ、人は古来、祈りに心を寄せてきました。自分の力ではどうにもならない流れがあると感じたとき、目に見えない大きな力に手を合わせ、無事を願う。これは弱さではなく、人が太古から続けてきた、心を整えるための尊い営みです。
神社やお寺では、こうした年回りの方のために「八方除け」あるいは「方位除け」と呼ばれるご祈祷が古くから行われてきました。方位や年回りからくる災いを祓い、一年の平穏を願うものです。「塞がり」を祓い清めていただくことで、心の重荷がふっと軽くなり、前を向く力が湧いてくる――そうおっしゃる方も少なくありません。祈りそのものが、不確かな一年を歩む確かな支えになるのです。
当方がお仕えする聖天様(大聖歓喜天)は、現世のあらゆる願いを聞き届けてくださる、たいへん力のお強い天尊として古くから篤く信仰されてきました。その守護をいただくには、丁寧に礼を尽くしてお祀り申し上げることが何より大切とされます。だからこそ、正しい作法を心得た行者が、誠を尽くしてお願い申し上げる意味があるのです。当方では、皆様の願いを聖天様にお届けする御祈祷を、日数をかけて厳かに修めております。八方塞がりのような年回りの不安も、おひとりで抱え込まず、祈りに託していただける場があることを、どうか心の片隅にとどめておいてください。
まとめ――塞がりの年を、整える年に
八方塞がりは、九星気学に由来する九年に一度の年回りで、本命星が方位盤の中央に巡り、八方が塞がれたように見える時期を指します。厄年とは起源も数え方も異なる、別の考え方です。「動きにくい年」ではありますが、決して恐れおののくべきものではなく、むしろ足元を見つめ直し、次の飛躍に向けて静かに力を蓄えるための、ありがたい準備期間とも捉えられます。
大きな決断は急がず慎重に、暮らしと心を清らかに保ち、祈りに支えられながら過ごす。そうして一年を丁寧に重ねていけば、塞がりが明けたとき、きっと一回り深みを増したご自身に出会えることでしょう。
それでも、漠然とした不安がどうしてもぬぐえないとき、何をどう心がければよいか迷うときは、どうかおひとりで抱え込まないでください。まずはお気軽にご相談ください。お話をうかがったうえで、必要であれば御祈祷や鑑定という形で、お力になれることもございます。あなたがこの一年を、おびえてではなく、穏やかに前を向いて過ごしていけますよう、心より願っております。
合掌



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